選挙のお話です。
選挙について、一昔前は 『まずは選挙に行こう!』 みたいな呼びかけをする人も
多かったですが、今みなさんは色々と気付き始めていると思います。
上の呼びかけが実はムチャクチャ無責任だっていうことを。
政治について 『どうしたらいいかな?私にも何かできることはないかなぁ?』
と考えることは、それだけで凄く意義のあることです。
関心を持ち、疑問を持ち、考えることから人の成長は始まります。
でもね、だからといって 『投票すること自体に意義があるんだ。』 とはゼッタイに
思って欲しくないんですよ。
今の投票制度、残念ながら、国の政治を真摯に考え、どうしたらいいか
分かっている人・行動に移している人も、今回は選挙いってみよっかなー
という人も同じ一票です。
政治が成熟していくのには難しい環境にある、とも言えます。
少し前にも書いたように、私からしたら今回の選挙(都知事選)は非常に分かりやすい
選挙なのですが、誰についても否定的なことばかりで投票する人がいない、とか
言っている人もたまに見かけます。
今回の都知事選については、今後の日本の政治を見据えてホントに大きな選挙なので
今後を見据えて、東国原英夫を都政に送り込んでいって育てて欲しい!!! と強く思います。
ただ、東京都以外の方、色々と地方選も行われますし、情報も少なく難しい選択の場合も
あると思います。その場合の心がけとして持って欲しいのが
投票に行かない(又は白票)も一つの立派な選択肢なんだということ
このことは頭に止めておいてください。
間違った投票をして迷惑をかけるよりはずっといいんです。
それは例えばボランティアにいって逆に足手まといになることとも似ています。
それが、前回の衆院選の教訓です。次に繋げていってください。
いつかあなたが、自信(確信)を持って投票できる日を待ち望んでいます。
投票する、ということは背負うことでもあります。
未来の世代を背負っているんだ、その意識を持って臨んでください。
今の日本、待ったなしですよ。
選挙について、一昔前は 『まずは選挙に行こう!』 みたいな呼びかけをする人も
多かったですが、今みなさんは色々と気付き始めていると思います。
上の呼びかけが実はムチャクチャ無責任だっていうことを。
政治について 『どうしたらいいかな?私にも何かできることはないかなぁ?』
と考えることは、それだけで凄く意義のあることです。
関心を持ち、疑問を持ち、考えることから人の成長は始まります。
でもね、だからといって 『投票すること自体に意義があるんだ。』 とはゼッタイに
思って欲しくないんですよ。
今の投票制度、残念ながら、国の政治を真摯に考え、どうしたらいいか
分かっている人・行動に移している人も、今回は選挙いってみよっかなー
という人も同じ一票です。
政治が成熟していくのには難しい環境にある、とも言えます。
少し前にも書いたように、私からしたら今回の選挙(都知事選)は非常に分かりやすい
選挙なのですが、誰についても否定的なことばかりで投票する人がいない、とか
言っている人もたまに見かけます。
今回の都知事選については、今後の日本の政治を見据えてホントに大きな選挙なので
今後を見据えて、東国原英夫を都政に送り込んでいって育てて欲しい!!! と強く思います。
ただ、東京都以外の方、色々と地方選も行われますし、情報も少なく難しい選択の場合も
あると思います。その場合の心がけとして持って欲しいのが
投票に行かない(又は白票)も一つの立派な選択肢なんだということ
このことは頭に止めておいてください。
間違った投票をして迷惑をかけるよりはずっといいんです。
それは例えばボランティアにいって逆に足手まといになることとも似ています。
それが、前回の衆院選の教訓です。次に繋げていってください。
いつかあなたが、自信(確信)を持って投票できる日を待ち望んでいます。
投票する、ということは背負うことでもあります。
未来の世代を背負っているんだ、その意識を持って臨んでください。
今の日本、待ったなしですよ。
コメント
白票というのは共感しました。
実際今度の日曜日投票所へ行きます。
政治に興味を少しだけ持ったのは04年からで
それまでは行ったり行かなかったりでした。
私は、前回の政権交代に一票入れた人間なので
今のこのどうしようもない政府を指示した人間です。
確かにあの時の政権ではダメだと思いましたが(メディア
の風に流されただけなんでしょうが)ここまで酷いことに
なるとは思っていませんでした。
私は今回・・・というか私の住む地域で「この人に政治を
任せたい」と思う人に出会えていません。
それでも出来るだけ比べて投票してきましたが白票という
「意思表示」も有るのだなと改めて思いました。
コメントありがとうございます。
それも政権交代に投じたことを話していただいて凄く嬉しいですよ。
ありがとうございます。
もちろん最善の人に投票することに越したことはありません。
ただ分からない、自信が持てないときは素直にそれを認めていいんですよ。
近くでこの人の選択した人なら間違いない、という目利きの方がもしいたらその人と
同じ判断をしてみてもいいと思います。それも含めて最後は『勘』なんですよね。
人生経験を積んで『勘』を磨いていくこと。
一つだけアドバイスしますと、『人』を見てください。政策ではなくて。
『人』『人』『人』です。男を見抜くこととも似ています。
詐欺師は大きい約束をします。それは実行する気がないからです。
言うことに惑わされずに。
そもそも国民・県民・市民である我々の後押しなしに大きいことは成し遂げられない
んですよ。
今回に限らず、この人は国政でもひょっとして可能性があるな、と思う人がいたら
恐れずもう一度チャレンジしてみてくださいね。衆院選に比べれば判断に失敗しても
影響は少ないです。
島根は県議会選挙ですか。難しいかも知れませんね。
候補者の目を見て、感じて、悩んで、判断してください。
現職に投票しているのと同じ意味になります。「未必の故意」とでもいいましょうか。
代表制というのは、有権者が政治判断を政治家に委任する制度でありますから、どの政治家に委任するのかは諸個人で責任を持って判断していただく必要があります。
自分にはまったく判断する力がない…と思う方は、選挙に行かないという判断をするべきではありません。多くの近代国家では、国民が必ずしも判断する力をもっていないので代表制民主主義を敷いているのです。
『政策』ではなく『人』を見ろという指摘もあるようですが、選挙というものは政策のビジョンを形成するためのものですので『政策』を見るほかありません。
『人』を見ろという高度な次元で投票行動をとらえているような人に申し上げたいのですが、ぜひあなたが立候補されてはどうでしょうか。
判断しないかわりに投票する。判断できる人は立候補する。これが選挙というものではないでしょうか。
甘いですね。もっと民主主義が機能する体制を想像してみてください。
突き詰めると『政策』が政治家発信なこと自体が問題なんです。
ここを国民発信の体制にまで持っていかなければならない。
もっともっと高いところをイメージしてみてください。
それとリスクばかり嫌う日本では確かに現職は強いですが、白票は未必の故意ではなくて
他の判断に自信のある人へ判断を委ねる行為です。
選挙は『人』です。この意識まで上り詰めていってください。
政策は口先では何とでも言えます。言うかではなくやるか。そしてやれるかという所には
選挙民の後押しがあってはじめてできるモノ。だから『民意』であり民主主義なんです。
現状の全く成熟していない状況で政治を見ないでください。
今のカタチには答えはありません。だからこの有り様なんですよ。
判断できる人が投票して現場から最大限のサポートをしていく。
そして政治家実務をこなすべき人がたって執行役となって忙しく働いてもらう。
パン粉さんに一つ申しあげますと、選挙後が本当のスタートです。
ここの認識はまず持ってください。
代議士っていうのは全部背負ってくれる存在ではないですよ。
まずは民意、つまりこうしろというのがあって、『分かりました。』といって実際に動いてくれるのが代議士です。
現状はテキトーに選挙で投票してその後政治家に丸投げなのであなたのような認識に
なっているだけです。
小泉さんをサポートできなかった過去を思い出してください。
政策に投票すると今の国政のようになる。
まずは我々国民が動くことです。主導権を握れるまでになりましょう。
「あの人が彼に投票するんだったら、私もそうしよう」
私は、これで良いと思うんですね。
もちろん、オサムさんのおっしゃるとおり、選挙の後が大変重要になってきます。結果的に実現しなかったわけですが、政権交代において「引き受ける政治」ということが言われました。
投票行動への過大な期待は「丸投げ」化の要因のひとつになっています。投票行動と政治参加は区別されるべきだと思います。それに、多数の無意欲な投票行動が少数の意欲的な政治参加の邪魔をする、ということもあります。
ここで、オサムさんは「自信のある人へ判断を委ねる」といいますが、これではやや漠然としすぎています。けっきょく誰に委ねたのかわかりません。すると選挙は、やはり集票政治とポピュリズムが票を争うだけのものになってしまいます。
オピニオンリーダーの役割に注目したラザーズフェルドの二段階の流れ仮説というものがあります。これにしたがえば、民衆の誰もが判断するべきだというお花畑的民主主義はありえないわけですね。どれだけ民主主義が成熟したとしても、多くの民衆は判断の主体になることはできません。この点では、私もオサムさんも似たような認識だと思います。
すなわち、「委ねる」にしても、白紙投票で漠然とした「自信のある人へ」判断を委ねるという捉え方にはやや無理があると思ったんですね。任せるならば、顔の見える人物を信頼して判断を委ねるべきではないのですか。すくなくとも諸個人は、自分で判断しない場合も、だれかに委ねた「結果」を引き受けるだけの主体性はもつべきでしょう。
文章読んでいただければ分かると思いますが、これ東京以外の選挙戦の話ですからね。
東京は東国原英夫、以上です。